プラムフィールド通信2024年1月10日 №365  巻頭エッセイ ~我が家の能登半島地震~    馬場利子記

更新日:2024/01/11

 能登半島地震により被災された皆様へ、心よりお見舞いを申し上げます。
      ~我が家の能登半島地震~    馬場利子記
 我が家は、夫が国家公務員の任期を満了して停年を迎えたのを期に、「万一、東海地震が来て家が住めなくなったら避難所ではなく、もう高齢なんだから、避難したい街に直ぐに行ってね」という息子たちの勧めもあって、4年前に夫が3年間単身赴任していた石川県加賀市片山津に中古の2階建ての家を避難場所として購入しました。
 加賀温泉の街中にある家には、TV受信もインターネットもひいていませんが、寒い冬のためのストーブや寝具、冷蔵庫や調理器具も使えるように、ゆっくりと整えて、月1回ほどは利用していました。
 今年の正月は、東京に赴任している次男から、お嫁さんの実家(富山県)も訪ねたいから加賀で1月1日に1泊したいという希望があり、石川県七尾市に昨年10月に転出した長男も合流して1月1日 14時半頃、集合しました。お正月だからと、再会を期して、昼から乾杯をしたところに地震が来ました。大地震かどうかこの時は不明。
 加賀の古い家はグラグラと揺れ、2階の食器棚からグラスが落ちる音がした直後、富山のお嫁さんの実家から電話。「大丈夫だから、落ち着いて」とご両親をなだめる声。長男のパートナー(看護師さんで勤務中)から、「街の被害は分からけど、勤務が終わって行けるかどうか分からない。また、連絡する。」という電話。家族全員立ち尽くし、携帯電話とPCを繋いで、ニュースの映像を食い入るように見守りました。
 何度も連絡の電話が入り、用意していた夕食を「とにかく、全員が無事だったのだから食べよう。暗い時には動かない方がいい」と始めた食事の間も被害は広がって・・。
 翌朝早くに、七尾市は断水でトイレも使えないと分ると、長男はあるだけのポリタンク(10L6個)に水をくみ、量販店が開いたら飲料用のペットボトルを買えるだけ買って、七尾まで抜ける山道を帰ることになり、私は買い置きの使い捨てカイロ・ウエットティッシュ・古タオルなどを手渡して、JRも運転を見合わせているため、次男夫婦を富山まで送る(加賀から1時間)車を見送りました。富山では、お嫁さんの実家でポリタンク10個に水を満水にして準備をして下さり、長男は水タンクに埋もれて七尾に向かいました。
 七尾市に引っ越して2か月の長男ですが、高速道路が全て不通のため、カーナビで山道を2時間で辿り着き、「近所でポリタンを持ってない人があるからあげても良いよね」と水を配りはじめていました。
  息子たちそれぞれが、落ち着いたのを確認して、私たち夫婦は3日に暖かい静岡に帰ってきました。
 長男のパートナーさんの七尾市の実家は、津波の心配がなくなり家に帰りましたが、断水で洗濯もお風呂も入れないので、七尾の家族が交代で加賀の家を使ってくれています。                (2024年1月7日記)